心とは何でしょうかと問われたら、貴方は何と応えますか。
脳を過るは、差し詰め恋人の顔でしょうか。
アスファルトに轉がる仔猫の骸から舵を切る反射に在ると、私は思います。
仔猫は轢かれたが既に仔猫に非ず。
散らした肉片を掻き集めても元には戻りません。
それなのに人は何故か、轢かれた仔猫を避けて通るのです。
笑う骸を、泣く骸を、見た事がありましょうか。
貴方の宗教観を否定するつもりは御座いませんが、シナプスの集合体でしかない蛋白の義体が天に昇るなどチャンチャラ可笑しいのです。
仔猫も人も、死なばそれ迄なのであります。
不謹慎などという言の葉は、余程信心深い人間が考え付いたに違いない。
貴方の拇指を動かすのは、心などという曖昧なものでなく、紛れもない脳であります。
平らになった仔猫に何遍タイヤを乗り上げようと、笑いも泣きもしないのです。
ご自慢の愛車が返血で汚れるから、そこの仔猫を避けて通ったのですか。
違いますよね。
さて、もう一度問います。
心とは何でしょうか。