奇形のクラゲ

実に実りの無い話

成田空港発→天国経由→福岡空港行き

生まれて初めて一人で飛行機に乗りました。

天性のケチなので、一人旅はすべて夜行バスで移動していたのですが。

幼馴染に会いに成田空港発→福岡空港行きのチェックインカウンターへ。

あれ、チケット発券されてない。

あまりに慣れておらず、発券手続きが終わっていないことも知らないまま空港までのこのこやってきたマヌケな旅鴉が一羽。

羽がもげてるじゃないか。

当日券のネット予約を試みるも、次の便は六時間後。

誰が、版権キャラクターが飛行機に乗ってるデザインのお土産をそんなに長く見ていられるんだよ。

しかし幼馴染の勧めで第三ターミナルにある別の航空会社カウンターへ急ぐと、一時間後のチケットが購入できるではないか。

よかった、傷は浅いぞと負傷兵の自分に言い聞かせ174番搭乗口へ歩くのです。

いざテイクオフ─────

いつ死んでもいいと思っているので、飛行機の離陸を怖がる人の気持ちがわからない。

緊張する乗客を他所に、機内販売の酒とおつまみを迷う。

さっきから、飛行機が空港内をふらふら歩いています。

ケチな上にせっかちな私は、多少失敗してもいいから早く飛べよと考えてしまうのです。

そういやフライト中って電波届くのかな、そもそも機内モードにするからスマートフォン使えないか。

暇だなあなんて考えていると、ようやく離陸姿勢に入った模様。

そうだ、ブログでも書こうかなと思い加速してゆく飛行機を無視し奇形のクラゲを開く。

地面を蹴る音もなく、大きな機体は宙に浮きました。

せっかく偶然にも窓側の席だし、外の景色でも見てやるかと視線を移すと。

山々がみるみる小さくなってゆき、暇潰しに第二ターミナルで見ていた街のミニチュア模型のよう。

渓谷にある古びた民家が、枯葉のグラデーションをつくり、見惚れていると湾の上空に。

群青にキラキラと輝く水面と、波打ち際のコントラストが網膜に照映する。

なんて、なんて世界は美しいんだ。

家族や友人らと旅行すると、自分は興味がないからと窓側の席を譲り酒を煽りながら通路側でふざけていました。

なぜこの景色を観ようと、一度たりとも考えなかったんだ。

フィリピン旅行のフライト中に書き上げた「空飛ぶ自転車」を、死んじまった親友は一番好きな記事だと話してくれたのを思い出しました。

私はそのときもブログを書いていたのだな。

飛行機はどんどん高度を上げてゆき、薄ら雲に入る。

天国は雲の中にあるのかな。

魂がこの星に留まるのなら、人工衛星に映らないのはきっとそうだからかな。

この雲を飛びこえるときに天国の親友や好きだった人、ウチのじぃちゃんに会えるかな。

とか考えていたら、席でボロボロ泣いてしまいました。

いつ死んでもいいなんて嘘だ。

人生がクソなのを、斜に構えて言い訳しているだけだ。

だってあいつらが生きてゆけたはずの世界が、こんなにも美しいのだから。

あ、持ち込んだプリングルスの内蓋が気圧差でパンパンになってる。

このまま無事、着陸することを願います。

たまには経由便もいいものですね。

好きだった人がシャブ中になってた

好きだった人がシャブ中になってた。

君が行きたいと私を誘ったから、鬼怒川の旅館で食べ残しの刺身蒟蒻を食べてあげたのに。

かかるキラキラの柚子味噌は、広縁に腰掛く私の笑顔を反照しなかった。

私の人生はとうに台無しだけど、君はどうだ。

ちゃんと飯食ってるかなんて紋切りなこと聞かないけど、ちゃんと飯食ってるか。

初めて買ったCDは青山テルマのそばにいるね。

中学生の頃だったかな、無け無しの小遣いから購買の焼きそばパンを我慢して買いましたよ。

当時いくら貰ってたのかって?ん〜ウチは別に貧乏ではなかったので、ちくしょう、やっぱ言えねぇや♪

また今度送るよ 俺からの Letter♪

夏目漱石が「I love you.」を「月が綺麗ですね。」と訳したように、「ちゃんと飯食ってるか」ってのは愛なのです。

「おいサンジ、カゼひくなよ」ってね。

覚醒剤というものが心底嫌いです。

大麻やペヨーテ、端くれの幻覚剤など好きにすればいいが。

軽蔑じゃない、君の人生も私の人生だったから哀しいとも思わない。

ただ、好きだった人がシャブ中になってた。

母がアル中で、父はそれに片目どころか両目を瞑っていました。

盲人ともたがう、それはそれとして仲良くしてるし家庭が崩壊してるなんて思わない。

咳止めの瓶を丸呑みしてる顔馴染みのスナックのママも、家では夫子と睦まじく口説く隙がない。

サボテンを食ってるやつは私以外知らないよ、そんな気狂いと好しでいたくないからな。

久方に会ったんだ、好きだった人は好きだった人ではなくなっていました。

蒟蒻も浮太とも、今やクラゲの海蜇頭と分別がつかなくなってる。

好きだった人と意思が疎通できなくなる哀しさを知っていますか。

「君にはこっちの方が似合うよ」なんて洋服を選んでいた人が、お古のパジャマのような薄汚い恰好でデートに来て。

艶やかな黒髪は、水分を失いノラ猫のよう。

ファミレスのオムライスを、砂利とセメントのように掻きまぜる様をみる虚しさを知っていますか。

中に盗聴器が入ってないか一応確かめるんだってさ。

好きだったまなこの下瞼に、トロトロ玉子の黄が跳ねて。

ようやく君が、私の人生でなくなって哀しいとも思えないことが虚しい。

正しく生きろよ、人生。

悪くなるために生まれてくる人間などいない。

不自然に身を任せて腐るなよ。

君にも私にも哀しいと、いや虚しいと思ってくれる人がいるのだから。

身体から斬り離された腕や脚を、踏みつけられても痛くないでしょ?

でももともと自分だった一部に下足痕を見ると、やはりなんだか虚しいんですよ。

好きだった人がシャブ中になってたなんて、実に実りのない話。

浅葱鼠のペトロル

ブログを更新していない期間に、転職して結婚して離婚しました。

転職はともかく結婚したときにブログを更新してみようと試みたが、人は幸せだと文章が書けない。

不幸は、決して揮発することのない浅葱鼠の色をしたペトロル。

子供のときから人と目を合わせるのが大嫌いだった私が、結婚してもこの歪な人生に向き合えなかった私が、離婚してようやく私と目が合った。

不機嫌そうな顔つき、それも情けないくらい黄ばんだ人皮のカンバスに、水彩鉛筆で線を引いたかのような傷が滲んで。

これが遺書なら散らかりすぎている。

これは、遺書でない何か。

転落事故で脳が溢れ、それからおかしくなってしまったと安堵していたのに。

私が世間様と相容れないのは、私の頭蓋を割ったあのコンクリートの所為だと心臓を撫で下ろしていたのに。

アルコール依存の母は、私が胚珠の頃から酒瓶をラッパにしていたそうで。

健全な子供が生まれるワケないだろ。

ふざけるなよ人生、これは遺書でない何か。

魚を飼っています。

それも小指の先ほどの、小さな命を。

もうながくないのでしょうね。

水槽の硝子に、ない前頭葉を打ちつけて泳いでいます。

命とは、印刷もされないエクセルの範囲と一瞬の輝き。

最近はなんだか少し幸せで、また文章がつまらなくなる。

不幸は、 浅葱鼠のペトロル。

 

 

多忙は多幸剤

あまりに忙しく、新年にブログを更新し忘れたまま今に至ります。

億劫によるものではあらんと。

ホントです。

みなさま、お元気でしょうか。

そろそろ更新しないと、なんだか天国より怒られそうで。

どうせ暇なら、脳梁の私と思考を共有しようでは。

多忙は不幸か。

もう何年も前のことで、多幸剤と称される脱法ドラッグを食らっていた時期がありました。

この世はまともに生きるにあまりに惨く、それでいてとても悲しい。

もやのかかる意識はハッピーそのものでした。

成分なんて考えたこともありませんから、誰がつくった何かも知らないまま血液となり私を通っていました。

ニューロン本馬場を逆立ちして歩くに、きっと脳によくないものが含まれていたのでしょう。

萎縮した私の海馬には、楽しかった日々や大切だったことやもの、愛した人たちの笑顔しか存在しないのです。

刹那的な生き方をしていました。

レシートに砕いた藍の粉末を、父によく似た鼻から吸引し、母によく似たまなこが充血し。

明日、死んでもいいように。

ドラッグを辞め、生きようと決意した人が亡くなりました。

気づいていましたよ、多幸剤なんて嘘だって。

暇な私を照らす太陽が怖くてたまらない。

ドラッグを燃料に漕ぐ舟はなんだか虚しい。

シナプス間隙を往く私は酔うて呂律すらマワっていないのだから。

人はひとり思考を巡ら暇がふえるほど悩み病み、僻みそうしてまた悩む。

依るがやたら永いのは、人がみな考え生きているからです。

私は“よいことでないか”と、思ってしまうのです。

拝む神すらおらぬ虫たちでさえ生きることに一心で、それを本能と一緒くたにするなら人間だって々じでしょう。

太陽の下を生きる衆生は、みな生きるために生まれてきたのに。

私はなんだか生きるワケが欲しくて、好きでもない仕事をしています。

心憂いけど、その果て生きる理由まて思索する暇はないのです。

生きるって難しい、それでも生きてるって素晴らしい。

この処、人生について考えることが少なくなりました。

多忙は多幸剤でなかろうか。

死に方を考えるにはあまりに忙しい。

ポエムでないから句点を忘れない。

忙しさをワケにもう少し生きてみる。

どうか多忙が、私にとってあなたにとって多幸剤でありますように。

クイーン=マリエッタよ永遠に

私が中学生のとき、ひどく寝坊をしてしまった朝がありました。

いつもは校庭を横切るところ、教室棟と特別室棟の間に位置する中庭を駆ける私の視界にふと飛込む何かが。

花壇の脇に蹲むと、子供の手のひら大のどこにでもある淡墨の石がありました。

私は特に理由もなく拾い上げ、朝の自習という如何にも大人が考えそうなお利口な時間に教壇側の扉を開けました。

そして、その石をクイーン=マリエッタと命名し女王として崇める小ボケと共に跳び込んだのです。

またくだらないことをやっていると、クラスメイトも相手にしていない様子でした。

それからも休み時間の度に石が如何に神聖であることを説くという徹底ぶりを見せつけ、今日はこれ一本でやっていこうと心に決めていました。

まあ、そのうち飽きられるだろうなと。

ところが、昼休みになるとクラスメイトら数人がクイーン=マリエッタの周りに集まっているのです。

「女王に触れるな!」と私が一喝すると、それまで騒いでいたクラスメイトが隔てを置きました。

石に触れた者の頭を木製の定規でぶっ叩き、紋切り型の信者を演じました。

放課後、担任教諭に「中庭に戻してこい」と叱られましたがここで折れては教祖の名が廃ると猛反発しました。

今思えば、このときから私もおかしくなっていたのかも知れません。

小ボケに始まった信者ごっこが、気が付くと教祖としての責任を感じていたのです。

日に異にその思想は伝播し、暴力も辞さない過激派が現れました。

教室ではクイーン・マリエッタを巡り抗争が頻発するようになりました。

私は教祖として都度その場を宥めましたが、いつもであれば私に意見などしない人々も教徒に加わり非難の嵐に。

これは“ごっこ”などではない、恐ろしいことをしてしまったのだとようやく認識しました。

誰も彼もおかしくなっていたのです。

ついに血の流れる事件が勃発し、事態を収束するため、明くる日をの正午を“審判の刻”とし教室のロッカーに処刑台を設けました。

憤る者、泪を流す者、様々でした。

しかし、阿鼻叫喚と呼ぶにはあまりに静黙が保たれていました。

私は、窓からクイーン=マリエッタを放りました。

宙を舞う彼女の横顔は息を飲むほど美しく、儚く。

気がつくと私は泣いていました。

さらば愛しのクイーン=マリエッタ。

貴女は、確かに女王でした。

クイーン=マリエッタよ、永遠に─────。

唯の石ですよ、馬鹿じゃないですか。

それでも私たちは貴女を愛してしまったのです。

 

アル中は歩く

2年半もの間、毎日欠かすことなく酒を飲んでいた男が禁酒をしました。

夏休みのラジオ体操すら皆勤賞を貰えなかった人間がどうしてこうも続くのか。

ラジオ体操には依存性がなく、アルコールにはそれがあるからです。

私の母は典型的なアル中で、物心がついてから一度たりとも酒を飲んでいないあの人を見たことがありません。

酒がなくなると、私は意味もなく折檻を受けました。

母と同じケロイド体質の膨れる傷を視て、これは虐待などではなく何かに溺れなければならないほど大人というのは哀しいのだと理解しました。

となり街の高校に進学してからは家に帰らなくなり、金銭などありませんから祖父の工場からシンナーを盗んではそれを売りラブホテルに泊まりました。

私の歯は溶け、愛した祖父の歯並びが綺麗であったことも忘れてしまったのです。

ある夜、歳下の女にホテルの冷蔵庫にある酒を飲もうと誘われました。

そんな気分ではないと断りましたがその実、私は怯えていたのでしょうか。

どこか母のようになってしまうことが怖くて仕方がなかったのです。

高校を卒業後、上京し更生保護施設に入りました。

偶然にも相部屋が同郷の人間で、私たちはすぐに打ち解けました。

寮則では酒類を持ち込めないのですが、その男はスウェットの内側に隠していたのです。

まだ4月なのに冷たかったろ、それ。

プラ製カップに安酒を注ぐと、私の心臓がいつもより鼓動するのを知られたくなくて、琥珀の液を勢いよく喉へと流しました。

不味いじゃないか。

こんなものを母が飲んでいたのかと想うと、あの人はやはり哀しいだけだったのだと。

強弱ボタンの壊れた扇風機を窓の外へ向け煙草を吸うと何故だか泣いてしまいました。

それでも、涙が頬をつたわないくらい皺々に笑っていました。

それからの私は、鳶職のアルバイトをして寮費を払い、余銭で飲み歩く生活を続けていました。

それまでの虚しさと決別するかのようで楽しかったのです。

それから、それから。

決して素行はよくありませんでしたが、防災訓練の班長を務めたこともあり、また桜の咲く季には寮を出ました。

仕事を変え、私は毎朝のように酒を浴び、疾うに母の顔など浮かばなくなっていたのです。

早朝、いつものように家へ帰ると私の手は震えていました。

躊躇いもなく戸棚にある酒に手を伸ばし、ようやく理解しました。

手遅れでした。

何かに溺れるというのはとても、とても楽なのです。

母がそうであったように、私の人生などどうでもよかったのですね。

明日には素敵なことがあるだろうと生きてみました。

疲れました。

大切な人が肝不全になりました。

入院した翌朝の便りからひと月が過ぎ、彼女が今どうしているのか。

ふと、私は2年半も続いてしまった日々を辞めてみたいと安いプラスチック製のサンダルを履き街へと歩きました。

散った桜は雨に流され、排水溝に降る街灯に照らされていました。

枯れ木のような姿も、次の春にはまた満開の桜を咲かせるのでしょう。

世界は非常に非情で、そのくせ非情なまでに美しいのです。

やはり世界は、哀しくなどないのだと。

私は今、歩いています。

こんなブログを書いてみましたが、翌朝には酒を飲んでいるかも知れません。

依存症とはそういうものです。

2年半もの間、毎日欠かすことなく酒を飲んでいた男が禁酒をしました。

いつか辞められたらいいな、なんて都合のよいことを考えながら。

それでも、アル中は歩くのです。

アル中は歩く。

お料理ノート・後編

こんなどうでもいい話を前後編に分けるなって?

一度やってみたかったんですよ。

1Kのアパートに移り住んでから半年が経ち、気が付くと私の家はたまり場になっていました。

毎日のように誰かが訪ね、手土産の酒をたらふく飲んでは酔い潰れる。

そんな日々を送っていたある日、キッチンの換気扇の下で煙草を吸っていた友人が私のお料理ノートを見つけます。

表紙をめくるとそこに書かれているのは目玉焼きの作り方です。

サラダ油を引き、フライパンを火にかける。

そして、卵を割る。

入れる。

目玉焼きができる。

まあ面白いわけですよ。

世界一、稚拙なお料理ノートでしょう。

こんな内容のお料理ノートを、私のような人間が大真面目に書いてるのです。

まあ面白いわけですよ。

忽ち噂が広まり、お料理ノートを読むために家を訪れる方々が増えました。

私は人に弄られるような人間ではなかったので、どこか新鮮で嬉しかったのでしょうね。

そのうち酒だけでなく食材を両手に訪れ、私は料理を作るのが楽しくて仕方がありませんでした。

ソファーで失神した友をよそに明日の朝食を作りながら、究極の趣味とは何かと考えたことがあります。

一人でできて、複数人でもできて、披露する場がある。

尚且つ評価され、熟達するそんなことを浮かぶうちにオーブンが鳴りました。

6枚切りのトーストにスクランブルエッグ、千切りのキャベツに焼いただけのウィンナーソーセージ。

お湯を注いだだけのフリーズドライ・コーンスープ。

私が作ったと呼べるのか。

定義なんてどうでもよくて、誰かのために朝食を作るというのは楽しいものです。

こんなオチのない話をするなって?

一度やってみたかったんですよ。