私が中学生のとき、ひどく寝坊をしてしまった朝がありました。
いつもは校庭を横切るところ、教室棟と特別室棟の間に位置する中庭を駆ける私の視界にふと飛込む何かが。
花壇の脇に蹲むと、子供の手のひら大のどこにでもある淡墨の石がありました。
私は特に理由もなく拾い上げ、朝の自習という如何にも大人が考えそうなお利口な時間に教壇側の扉を開けました。
そして、その石をクイーン・マリエッタと命名し女王として崇める小ボケと共に跳び込んだのです。
またくだらないことをやっていると、クラスメイトも相手にしていない様子でした。
それからも休み時間の度に石が如何に神聖であることを説くという徹底ぶりを見せつけ、今日はこれ一本でやっていこうと心に決めていました。
まあ、そのうち飽きられるだろうなと。
ところが、昼休みになるとクラスメイトら数人がクイーン・マリエッタの周りに集まっているのです。
「女王に触れるな!」と私が一喝すると、それまで騒いでいたクラスメイトが隔てを置きました。
石に触れた者の頭を木製の定規でぶっ叩き、紋切り型の信者を演じました。
放課後、担任教諭に「中庭に戻してこい」と叱られましたがここで折れては教祖の名が廃ると猛反発しました。
今思えば、このときから私もおかしくなっていたのかも知れません。
小ボケに始まった信者ごっこが、気が付くと教祖としての責任を感じていたのです。
日に異にその思想は伝播し、暴力も辞さない過激派が現れました。
教室ではクイーン・マリエッタを巡り抗争が頻発するようになりました。
私は教祖として都度その場を宥めましたが、いつもであれば私に意見などしない人々も教徒に加わり非難の嵐に。
これは“ごっこ”などではない、恐ろしいことをしてしまったのだとようやく認識しました。
誰も彼もおかしくなっていたのです。
ついに血の流れる事件が勃発し、事態を収束するため、明くる日をの正午を“審判の刻”とし教室のロッカーに処刑台を設けました。
憤る者、泪を流す者、様々でした。
しかし、阿鼻叫喚と呼ぶにはあまりに静黙が保たれていました。
私は、窓からクイーン・マリエッタを放りました。
宙を舞う彼女の横顔は息を飲むほど美しく、儚く。
気がつくと私は泣いていました。
さらば愛しのクイーン・マリエッタ。
貴女は、確かに女王でした。
クイーン・マリエッタよ、永遠に─────。
唯の石ですよ、馬鹿じゃないですか。
それでも私たちは貴女を愛してしまったのです。