奇形のクラゲ

実に実りの無い話

哲学的ゾンビ調査報告書

哲学的ゾンビという言葉をご存知でしょうか。

物理的化学的電気的反応は普通の人間と何一つ違いを有しませんが、意識を全く持たない人間を指す心理哲学用語です。

哲学的ゾンビは外面的には人間と何ら変わらず、喜び、怒り、悲しみと云った反応を示しますが、その根本にあるクオリアが欠如していると定義付けられています。

罪悪感の希薄な人や、冷たい人等の人間の性格を表す言葉ではないという事を念頭に置いてください。

哲学的ゾンビとは本来、心理哲学の分野において議題を扱うに当たって純粋かつ理論的なアイデアとして用いられる道具であり、実在しないというのが哲学者の中での定説です。

しかし、22年間という歳月の中で出会った内に、それが垣間見得る人物と多く交流をした自覚が有ります。

無論私は哲学者で無ければ論理学者でも無い為、現象判断のパラドックスについては当記事では触れない事とします。

人の単位は脳であり、意識であります。

他者と関わりを持つというのは、二つ以上の意識が交わり、自分一人では産出し得ない感情を蓄えるという事です。

数多の人々と意識を交えれば、それだけ豊かな人間に育つはずなのですが…。

友人の少ない私から見ても、それなりに居場所がありそれなりに人と接する機会があるにも関わらず、何処か感情が、と言うよりか根本的に意識が抜け落ちた人間が存在するのです。

此方としては仲良くしているつもりでも、何処か掴めないと言いますか、本当は何も感じていないのではないかと疑いたくなる人間に山程出会いました。

アダルトチルドレンを自称するつもりは毛頭御座いませんが、子供の頃から何かと思慮の深い人間だったと自負しております。

血潮より遥かに濃厚な体内を巡るクオリアが複雑に絡み合い、感情という物に常に左右され生きて来ました。

それ故に、意識の欠けた人間を見ると時折不安になるのです。

一体何を考え私と関わっているのか、将又何も考えていないのか。

私の考え過ぎでしょうか。

否、考え過ぎるくらいが人間らしいと私は思っています。

哲学的ゾンビは意識が存在しない為、それに伴い自覚症状も無いそうです。

この様な記事を書いておきながら、若しかしたら私の中にもクオリアが存在せず、人間の振りをしてブログを更新しているのかも知れません。

この記事を読んでいる貴方の意識は、果たして貴方の元に在りますでしょうか。

執拗な様ですが、哲学的ゾンビには自覚症状が無いのです。

是れにて哲学的ゾンビの調査報告を以上とします。