今日は亡くなった親友の満中陰であり、皮肉なもので、生を受けた日でもありました。
夭折は多くの人を悲しみの淵へと。
三途川の水位が上がるのは、下流にあるのやも。
有難いことに、彼はこのブログの更新を楽しみにしていました。
まさか彼のことをこのような形で書くとは夢にも、いや悪夢にも思いませんでした。
せめてあの世で、読んで頂ければ幸いです。
葬式に参列し半月も経たぬ間に、私は彼の命日を刺青にしました。
私にも、何を思ってそんなことをしたのかわかりません。
ただ、下唇を摘み手前に引くと、いつものように顔を覗かせるのです。
親から貰った体に、などと妙なことを吐く無頼がおりましたが、精神の器に過ぎないこんなものをいつまで愛でているのだろう。
エゴイズムでしょうか。
しかし彼には、止める術もないのです。
様ァ見ろよ。
残された人間は貴方のいない世界を生きてゆくのです。
亡くなった人間は神様になります。
決して、私の宗教に拠るのではありません。
ただ故人というのは不可侵で、思い出ばかりが美化され人々の心には偶像が住むのです。
だからこそ、私は貴方の弱さを、卑怯さを、人間らしさを、憶えていたい。
きっと、誰しもそうなのだから。
私と、こんな人間と仲良くしてくれてありがとう。
そして願わくば、貴方が成し得なかったこれからを生きます。
永く、これからも永く生きます。
私が死んで哀しむ人がいる限り、生きます。
いつの間にか三人称が二人称になっていた。
これは、貴方へ宛てた手紙なのかもしれません。
やあ、天国は良いところか。
地獄へ蜘蛛の糸を垂らして頂ければ、また遊びに行きます。
貴方の親友より。