奇形のクラゲ

実に実りの無い話

脳梁に私

私たちは、右脳と左脳を併せ生まれました。

そして、右半身の知覚や運動を司るのは左脳、左半身を司るのは同様に右脳という仕組みを持っています。

これを神経連絡の交叉と呼び、ホモ・サピエンスに限らず多くの脊椎動物にこのような逆転現象が見られます。

交叉については、頭蓋に神経を効率的に収納するためや外敵の攻撃から身を守るためなど様々な説が唱えられていますが、その解明には至っておりません。

さて、それらの真相究明はお勉強好きな学者に任せるとして。

右脳または左脳だけを持ち生まれてきた方には、少々アンニュイな話になってしまうかも知れません。

そんな人間がいるのなら、攫って愛してしまおう。

何故ならそこに意識は二つとないのだから。

あなたは分離脳についてご存知でしょうか。

分離脳とは、大脳半球を繋ぐ脳梁が文字通り分離した脳。

右脳と左脳が切り離された状態とでも表現しましょうか。

これを行う手術を脳梁離断術といいます。

マッド・サイエンティストの悪趣味ではなく、実際に難治性の癲癇治療に用いられる方法です。

その手術により分離脳となった被験者は、ロボトミー手術のよう廃人に変わり果てることもなく、予想とは裏腹に何不自由ない生活を送ります。

しかし、脳梁離断術を受けた患者が本当に右脳と左脳で情報を共有できているのでしょうか。

そこである実験が行われます。

被験者の視界にブラインドを設置し、左右の目からは逆側の景色が見えないようにしました。

そして被験者の右目にだけある絵を見せ何が見えたかを質問すると、彼はその絵が何であったかを答えることができました。

次に左目にある絵を見せ何が見えたか質問すると、何も見えなかったと応えたのです。

これにより、視界より得られた情報を処理するには、左脳の働きが重要なのだと考察されました。

興味深いのはここからです。

絵が描かれた何枚かのカードを用意し、左目にそのうちの一枚を見せ同じ絵が描かれたカードを選ぶよう指示すると、左手はしっかりと同じ絵のカードを選ぶのです。

しかし、何の絵が描かれたカードを選んだのか問うと、何も見えなければ何を選んだのかもわからないと答えます。

自分の選んだカードを認識できない、実に奇妙ではありませんか。

これは紛れもなく、左右の脳が別々に情報を処理している証拠に他ならない。

被験者の左目から入ってきた情報は神経を伝達し右脳にのみ届き、カードを選ぶ左手をコントロールするのも同様に右脳であるから、問題なく正しいカードを選択できた。

それなのに、何の絵が描かれたカードを選んだのか質問されると答えられない。

これは、言語能力を司る左脳に情報が共有されていないということを示します。

逆に、右目に同様の実験を行い左手で取るように指示したところ、被験者はそのカードを取ることができませんでした。

では、どのカードを取るべきか理解しているか質問すると、そのカードに描かれた絵を答えることができるのです。

どのカードを取るべきか理解しているのに取ることができない。

つまり、私たちの右半身が何をしているのか左半身は知らないし、左半身が何をしているのかも右半身は知らないのです。

ここである疑問が生まれます。

脳梁を失い右と左で情報を共有できなくとも生命維持に問題がないのならば、そもそも人間の中には意識が二つ存在するのではないか、ということです。

同じ一人の人間である筈なのに左右で見えるもしくは感じるものが異なるのだとしたら、意思や感覚が独立しているということになります。

さて、あなたの意識はどこにありますか。

嬉しいと感じるのは、悲しいと感じるのは、あなたですか。

そこにある意識は、あなたの意識は、本当にあなたのものですか。

誰かを愛しているなら、その誰かは左脳に、それとも右脳に愛されているのでしょうか。

不安になってきたでしょう。

私は、脳梁に。