奇形のクラゲ

実に実りの無い話

高熱のクラゲ

新型コロナウイルスのワクチンを接種しました。

一度目は拍子抜けしてブログを更新する気にもなりませんでしたが、二度目は情けないことに高熱に魘されています。

腕も肩より上は不自由で、ブログを書くしか暇の潰しようがないのです。

私は脳に穴が開こうが肺が壊死しようがピンピンしており、頑丈に生んでもらったことを両親に感謝しています。

が、どうやら今回は勝手が違うようです。

高齢者と比べ免疫の強い若者ほど、副反応が出やすいのだそう。

受験で生物学を齧った私には、何となくわかるようなわからないような。

接種後、またも拍子抜け。

夕方からいつもと変わらずスコッチを煽っていたのですが、どうやら様子がおかしい。

ようやく来たか、と感動し煙草に火を着けようとするのですが、風避けの左手が開かない。

仕方なく室外機に背を向け火を吸いますが、思うようには着きません。

漸く、これが副反応か〜〜〜〜〜と感じました。

思想は年寄りめいていても、体はまだ若やかなのだと安心。

解熱剤に手を伸ばし、タンブラーに残る酒で喉へと流すと、酷い眠気に襲われました。

食欲はいつもと変わらないがしかし、右手だけで作った鍋焼きうどんがゴム紐のように舌を過ぎました。

こんなことなら無理にホウレン草を切るのではなかった。

アンタらもし自分が大切なら、解熱剤と流動食のご準備を。

高熱のクラゲは、いつになく親切であります。

 

 

 

 

 

 

 

脳梁に私

私たちは、右脳と左脳を併せ生まれました。

そして、右半身の知覚や運動を司るのは左脳、左半身を司るのは同様に右脳という仕組みを持っています。

これを神経連絡の交叉と呼び、ホモ・サピエンスに限らず多くの脊椎動物にこのような逆転現象が見られます。

交叉については、頭蓋に神経を効率的に収納するためや外敵の攻撃から身を守るためなど様々な説が唱えられていますが、その解明には至っておりません。

さて、それらの真相究明はお勉強好きな学者に任せるとして。

右脳または左脳だけを持ち生まれてきた方には、少々アンニュイな話になってしまうかも知れません。

そんな人間がいるのなら、攫って愛してしまおう。

何故ならそこに意識は二つとないのだから。

あなたは分離脳についてご存知でしょうか。

分離脳とは、大脳半球を繋ぐ脳梁が文字通り分離した脳。

右脳と左脳が切り離された状態とでも表現しましょうか。

これを行う手術を脳梁離断術といいます。

マッド・サイエンティストの悪趣味ではなく、実際に難治性の癲癇治療に用いられる方法です。

その手術により分離脳となった被験者は、ロボトミー手術のよう廃人に変わり果てることもなく、予想とは裏腹に何不自由ない生活を送ります。

しかし、脳梁離断術を受けた患者が本当に右脳と左脳で情報を共有できているのでしょうか。

そこである実験が行われます。

被験者の視界にブラインドを設置し、左右の目からは逆側の景色が見えないようにしました。

そして被験者の右目にだけある絵を見せ何が見えたかを質問すると、彼はその絵が何であったかを答えることができました。

次に左目にある絵を見せ何が見えたか質問すると、何も見えなかったと応えたのです。

これにより、視界より得られた情報を処理するには、左脳の働きが重要なのだと考察されました。

興味深いのはここからです。

絵が描かれた何枚かのカードを用意し、左目にそのうちの一枚を見せ同じ絵が描かれたカードを選ぶよう指示すると、左手はしっかりと同じ絵のカードを選ぶのです。

しかし、何の絵が描かれたカードを選んだのか問うと、何も見えなければ何を選んだのかもわからないと答えます。

自分の選んだカードを認識できない、実に奇妙ではありませんか。

これは紛れもなく、左右の脳が別々に情報を処理している証拠に他ならない。

被験者の左目から入ってきた情報は神経を伝達し右脳にのみ届き、カードを選ぶ左手をコントロールするのも同様に右脳であるから、問題なく正しいカードを選択できた。

それなのに、何の絵が描かれたカードを選んだのか質問されると答えられない。

これは、言語能力を司る左脳に情報が共有されていないということを示します。

逆に、右目に同様の実験を行い左手で取るように指示したところ、被験者はそのカードを取ることができませんでした。

では、どのカードを取るべきか理解しているか質問すると、そのカードに描かれた絵を答えることができるのです。

どのカードを取るべきか理解しているのに取ることができない。

つまり、私たちの右半身が何をしているのか左半身は知らないし、左半身が何をしているのかも右半身は知らないのです。

ここである疑問が生まれます。

脳梁を失い右と左で情報を共有できなくとも生命維持に問題がないのならば、そもそも人間の中には意識が二つ存在するのではないか、ということです。

同じ一人の人間である筈なのに左右で見えるもしくは感じるものが異なるのだとしたら、意思や感覚が独立しているということになります。

さて、あなたの意識はどこにありますか。

嬉しいと感じるのは、悲しいと感じるのは、あなたですか。

そこにある意識は、あなたの意識は、本当にあなたのものですか。

誰かを愛しているなら、その誰かは左脳に、それとも右脳に愛されているのでしょうか。

不安になってきたでしょう。

私は、脳梁に。

0309

今日は亡くなった親友の満中陰であり、皮肉なもので、生を受けた日でもありました。

夭折は多くの人を悲しみの淵へと。

三途川の水位が上がるのは、下流にあるのやも。

有難いことに、彼はこのブログの更新を楽しみにしていました。

まさか彼のことをこのような形で書くとは夢にも、いや悪夢にも思いませんでした。

せめてあの世で、読んで頂ければ幸いです。

葬式に参列し半月も経たぬ間に、私は彼の命日を刺青にしました。

私にも、何を思ってそんなことをしたのかわかりません。

ただ、下唇を摘み手前に引くと、いつものように顔を覗かせるのです。

親から貰った体に、などと妙なことを吐く無頼がおりましたが、精神の器に過ぎないこんなものをいつまで愛でているのだろう。

エゴイズムでしょうか。

しかし彼には、止める術もないのです。

様ァ見ろよ。

残された人間は貴方のいない世界を生きてゆくのです。

亡くなった人間は神様になります。

決して、私の宗教に拠るのではありません。

ただ故人というのは不可侵で、思い出ばかりが美化され人々の心には偶像が住むのです。

だからこそ、私は貴方の弱さを、卑怯さを、人間らしさを、憶えていたい。

きっと、誰しもそうなのだから。

私と、こんな人間と仲良くしてくれてありがとう。

そして願わくば、貴方が成し得なかったこれからを生きます。

永く、これからも永く生きます。

私が死んで哀しむ人がいる限り、生きます。

いつの間にか三人称が二人称になっていた。

これは、貴方へ宛てた手紙なのかもしれません。

やあ、天国は良いところか。

地獄へ蜘蛛の糸を垂らして頂ければ、また遊びに行きます。

貴方の親友より。

 

 

 

 

なべて脳はこともなし

 

遡ること、師走。

夜風と共にハーブ酒に溺れ、レトロ調に傾けるアルル時代に削がれた耳は、孔子の唄を聴く事はなく。

屋上より降りる梯子から宙舞う私の頭蓋は、ダーツ盤を固定するラックに容易く侵されたのです。

脳を損傷した男体は、お人好しな第一発見者に大病院へと担がれました。

麻酔もなくパッチワークのように縫われる痛みに目を醒ますと、ステンレス製のバットから髭面の青年がこちらを覗いていました。

ああ、私か。

その後頭部からは、ホースで水を撒くように血液が。

手術の終わらぬまま、視界には霞が罹りました。

翌朝、脳を欠損し思うは「肉が食いたい」でした。

病院を抜け出し山奥のステーキハウスで400gのヒレステーキを平らげると、フォークの柄に反射するのはいつもの私でありました。

後遺症もなく、気の触れたブログを更新するには充分なほど健康です。

これからも、どうか奇形のクラゲをご贔屓に。

キル・ユア・ハニー

秋晴と冬夜を々くして語らうは、甚だしくも美しい情景であります。

濁り湯に反照する陽射は、その貌が無邪気なように紅葉していましたでしょうか。

貴女にとって一番の幸福に成れない私は、一番の不幸でありたいと思うのです。

残された青痣だけが私を視て笑うのです。

何方にも成れない私を視て、私が、私を笑うのです。

愛は性欲の飾りに過ぎず、性欲もまた繁栄の飾りに過ぎない。

ならば私は、何を以てあなたの頸を絞めるのでしょう。

このままあなたが死んで仕舞えば、最期の不幸は私によるものなのです。

また一緒にどこか行きたいね、という言葉を聴いて、殺さなくてよかったと安堵しました。

きっと、いつか誰しも私を忘れて生きてゆくのでしょう。

私も、溺れるなら温泉がいいな、なんて事を思うようになりました。

愛が、私の歪んだ愛が、せめて赤紫蘇の味でありますように。

 

 

アンタら暇か

2ヶ月以上更新していない当ブログが、今月の300PVを達成しました。

アンタら暇か。

出掛けたりしないのか。

巷では妙な病が逸っていらっしゃいますが、こんなブログを読んでいるようでは、肺より咲に頭が花畑になってしまう。

GO TO キャンペーンが強盗なら、経済をマワセというのは東京証券取引所の役員らを輪姦しろという事でしょうか。

ディープキスで濡れるのは、今やマスクの内側だけであります。

下らない。

下らないなりに、生活が落ち着いたらまた更新して生きます。

新幹線19号車より愛を込めて。

正常な異常者

ご無沙汰しております。

異常者です。

貴方もまた、私にとっての異常者である事をお忘れなく。

裏の裏が表であるかを論ずるつもりは御座いません。

果たして人は、正常なのでしょうか。

他人の倫理に触れ、道徳に触れ、気付けば何が正しいのかを考える事もなく、正しい人間像が貴方を支配してはいませんか。

教師というのは、異常者であります。

何が正しいのかを知らぬまま、人に正しさを説くのです。

精神科医というのは、異常者であります。

何が悲しいのかを理解せぬまま、人の悲しみを聴くのです。

ヴィーガンというのは、異常者であります。

あれは単に、異常者であります。

さて貴方は、何を知り、何を理解し、何を食し生きているのでしょうか。

倫理や道徳などというのは、ただ長く歩いたが為に靴底に付着した土のようなものです。

誰もその土を剥がし、拇指で擦ったりはしません。

先程ヴィーガンを異常者と呼びましたが、ヴィーガンにとって私たちは異常者なのです。

私はドラッグに溺れる事も、詐欺師を撲殺する事も、決して異常だとは思いません。

人様の手料理を皿に残す事の方が、余程の異常であると。

気が違ったのではありません。

貴方と生きた環境が違ったのです。

ご無沙汰しております。

私は、正常な異常者です。