奇形のクラゲ

実に実りの無い話

液晶のゴースト

都心に向かう鈍行列車の中で、人々は皆5インチ大の液晶に無表情を反射させています。

いつからか意思はモニターを介して疎通されるようになり、意気は指先の動きで投合されるようになりました。

スマートフォンという掌サイズの文明の利器は、無数の娯楽を齎すと同時に、私たちから数多を奪いました。

本質において、人間は画面越しの相手を同じ人間と認識出来ません。

幸も不幸も瞬く間に消費される所詮は使い捨てのコンテンツに過ぎず、インターネットの世界では時に少女の自殺さえ、“アート”になり得るのです。

匿名性は人の匿名を引き剥がすスクレーパーへと変貌しました。

上がる炎にガマ油を投下する歪んだ正義は、悲しきかな人の嗜虐心を満たすのです。

テレビやラジオが人々の思想を形成していた時代がありました。

今や人の数だけ電波塔が存在します。

多様性はリテラシーを養う上で最も重要な要素でありますが、余りに自由な取捨選択の末都合の良い意見だけが手元に残り、より一方を向くようになりました。

私は時々、何が大切なのか分からなくなります。

近い未来、電脳が人々の意識を支配し、電子のパンケーキを食らう日がやってくるのではと、生身のシナプスが通う頭を抱えるのです。

私の癖毛が俯いた頭蓋を支える指に絡むうちは、せめて暖かいままであろうと思うばかりです。

ゴーストは身体に付随するが故、己たり得るのだと。

延命措置は遠慮致します。