架線を伝い西の都へと進んでおります。
頚椎に巻かれた紐蛇は社会の奴隷たる証であり、出張という肌寒さを夏用の背広で凌いでいるのです。
この私が社会人というフォーマットに収まろうとは、夢にも思いませんでした。
機械仕掛けの日々に“お前は誰か”と問うてしまうような気がして、時折星明かりが怖くなります。
大人になる日など本当はやって来ないのではないか。
そんな少年の理想は至極当たり前に打ち砕かれ、仕事に追われている訳です。
しかし、薄墨のカンバスに極彩色を咲かせているのは、旧友たちと過ごす時間そのものであります。
今でも連絡を取り合える友人がいるというのは、この上ない幸せなのだと身に染みて思います。
スーツを脱ぎ散らかし家を飛び出せば、私たちはいつだって子供の頃に戻れるのです。
酒を酌み交わし昔話に耽る無精髭の大人は、今でも心に学ランを着ているのでしょう。
居酒屋で中学の校歌を熱唱し出入り禁止になった日も、過去の喧嘩を掘り返しドライブ中の車内で殴り合った日も、あの頃と何一つ変わらない私たちがそこにいるのです。
ふと誰かが、“爺になってもお前らと一緒に酒を飲んでいたいな”などと言い出すものだから、皆適当な理由を付けて眼を擦ります。
随分と涙脆くなりました。
歳かな。
否、私たちはいつだって子供の頃に戻れるのです。
無精髭に学ラン─────
次は下駄でも履いて集まりましょうか。