奇形のクラゲ

実に実りの無い話

新春を憂う

明けましておめでとうございます。

皆様は新春をどうお過ごしでしょうか。

錆びた排水溝が如く御神酒を流し込まれた私の喉は焼け爛れ、文字通り春の暖かさを宿しております。

対照に寒空の下で吹く一筋の白煙は、'19年製ワンショットパイプからの年賀状でございます。

今の私が酩酊状態にあるのか、将又シラフなのか、判断の付かぬままお送りする記事ではありますが、どうかお付き合い頂ければと思います。

亥年は環境が一変した事もあり、私にとって激動の一年となりました。

左肺と肝機能の一部を失った人間にとって、正月というのは国家より付与された免罪符でありましょう。

死に急ぎと評されればそれ迄ですが、日々募る鬱憤は水溶性に非ず、アルコールによってのみ洗い流されるのです。

さて、酒瓶を両脇に抱える人でなしが憂うのは、他でもない今年を生きる私そのものであります。

年始のバーゲンセールで半額の札を下げられている共感という名の商品を手籠に投げ入れるつもりは端からございませんが、未だ鼠毛を執っていない人々のモットーに悪影響を及ぼす事が出来たらと考えております。

胡座の先に手を伸ばし墨を磨りながら視るのは、価値観の形成に関与する他者の喉仏を糸鋸て削ぐ初夢です。

依存という手軽なツールを用いて生き様を語る無頼の徒は、他の存在に理由を任せ真に己の価値を見出す事の出来ない哀れな子であります。

丑の背に乗りながら自らの脚で地を蹴っていると信じて止まない人間こそ、喉に餅詰まらせるべきなのです。

お年玉は、貰う立場より与える立場になってこそ、と考える所存であります。

新年のご挨拶としては少しばかり長くなりましたが、此にて。

新しい年が皆様にとって素敵な一年でありますように、なんつって。