奇形のクラゲ

実に実りの無い話

奇形のクラゲ

私は水族館に行くのが好きで、年間パスポートを持っている程でありますが、最近気付いたことがあります。

私は水族館にいるほとんどの時間をクラゲに費やしており、他の魚は一瞥する程度で、あとは少しお土産ショップを見て回り帰路に爪先を向けるのです。

私が好きなのは水族館ではなくクラゲなのではないか、そう思う訳であります。

ご存知ですか、クラゲと海水には境界線がありません。

クラゲという概念が絶えず海中を浮遊し、淡いターコイズブルーの膜が辛うじてそれを包み込んでいるに過ぎないのです。

では人間は。

自己と他者の境界線はどこにあるのでしょうか。

個体として別々に生存しているからあなたと私は所詮交わらない二つなのでしょうか。

身体が触れ合っていれば一つでありましょうか。

腕を切り落とされたら、それはあなたではない別の一つでしょうか。

身体を縦に半分に割られたら、あなたはどちらにいるのですか?

生きているとか死んでいるとか、そんな話をしている訳ではないのです。

人間もまた、その人で在るという概念を肌という弾性の殻が包むだけで、誰もその境界を定義し得ない。

そう、私たちは皆、奇形のクラゲだったのです。