私が見ている赤とあなたが見ている赤は果たして同じ赤か、今でもよく不安になるのです。
私たちの眼は、光受容体に光子が衝突するとその衝突エネルギーを電気エネルギーに転換し、一次ニューロン・二次ニューロンを伝達して視神経へと集めます。
もし、人間が絶えず正確に行っているこの信号処理の過程が他人と異なっていたとしたら………?
林檎を見て私が赤だと言いましょう。
あなたも赤だと言いました。
もし私の見ている赤があなたの見ている青であったら、そんな恐怖が胃酸を食道へと押し上げるのです。
22年間赤と認識してきた色が、私以外の人間の眼に同じ様に映っている保証はどこにもありません。
燃ゆるような麗しの果実を見て、美味しそうと言う私の網膜に飛び込んでいる光子は、ある日のネモフィラ畑と波長を同じくするやも知れません。
確かに矛盾を孕んでいます。
しかし、私は私の眼を介せず世界を知覚することは出来ず、これより他言いようがありません。
誰もこの事象を検証し得ない、言ってしまえば、仮に自分だけ見ている色が違っていても、死ぬまでそれを知ることなく生涯を終えるのです。
肌は淡い橙色をしており、眼は白無垢の中央に濃い胡桃色の染み、転んで擦り剥いた膝小僧からは真っ赤な血が溢れる。
これは私だけが見ている景色なのではないかと。
街往く人々が、否自分さえ例外でなく、悍ましい程の極彩色で塗られた肌を纏い、ネオンカラーの眼球をピクピクと動かし、藍よりも青い血が流れ続けている。
私だけがそれに気付かずにいるのではないかと。
不安で眠りに就けずピルケースから摘んだ睡眠導入剤は、本当は何色ですか?
これは杞憂でしょうか………。
私が単に、色覚ノイローゼなのでしょうか………。